2026/4月末に家庭裁判所に性別変更の申立てを行いました。いろんな書類が必要なのですが、その中で「自分が初めて性別に違和感を覚えてから今までの経験」を記した書類も一緒に提出しました。良い機会だと思いましたので、ブログの方でも今までの人生を振り返ってみます。
幼稚園
幼稚園にかわいい女の子がいた。母親に「同じ幼稚園に通っているおかっぱの女の子の髪型にして」と頼んだら、
「あなたは男の子だから、あの髪型にすることはできないのよ」と言われた。
これが人生最初で最大の衝撃であった。
男の子と言われたのがショックだった。自分は女の子だと思っていたからだ。残念な気持ちになった。当時から男性と言われるのは違和感しかなかった。今でもはっきりとその場面が浮かぶ。
幼稚園時代から違和感が始まっていたのである。なぜかわからないけど、「男の子」であることの違和感。
小学生
女の子とママゴトをして遊んでいた。ただ、お父さん役やってと言われると落ち込んだ。仲間との調和を乱すのは避けたかったので、仕方なく従った。
同級生の男の子達に、「お前、女の子とばかり遊んでいるな」と冷やかされた。
ある時は母親に「なんでお前は、野球に興味が無いんだ。周りの男の子はみんな野球をやっているのに」と怒られた。
怒られても興味が無いものは無いとしか思えなかった。
無理やり少年野球チームに入ったが、案の定半年で辞めてしまった。
小学校5年になると男子と女子が別で授業を受けたりすることもあり、「自分も女子なのに」と思い疎外感を感じていた。なにか間違った分類。違和感もありながら従うしかなかった。
中学1年
とにかく第二次性徴が嫌で嫌で仕方が無かった。声変わり、髭やすね毛が生えてくる。耐えられず、脚の毛を全部剃った。剃った事が母親にバレて怒られた。
「あなたは男子なんだから仕方がない。剃るような事はするな。」と。
髭やすね毛が生えてきて、ショックだったが幸いか?胸毛だけは生えなかった。おそらくこういうのも遺伝だろうなと思った。
第二次性徴前に男性が女性ホルモンを投与すると男性化が抑えられるということは、今ではわかる。だが当時はネットもなくホルモンを投与してくれる病院があるとも思わなかった。今とは情報の調べ方、量が違うのだ。
当時はTV、新聞、雑誌、本、ラジオが情報源だった。
中学2年
無性に化粧がしたくなり、夜中に母親が使っている三面鏡に向かった。「おっ!これはファンデーションだ。」その瞬間心がときめいた。自己流だがお化粧してみた。禁断の世界に入ってしまった罪悪感もあったが、とにかく死ぬほどワクワクした。化粧をしてからノートに自画像をスケッチしてみたりした。
あるとき親友にメイク道具一式を貰った。彼の母親は当時化粧品の訪問セールス業をしていて、家に化粧品が沢山あった。なぜ私に化粧品をプレゼントしてくれたかは覚えていない。家でメイクしたことをその友人に言っていたからだと思うが、あまり覚えていない。
もらった化粧品にワクワクして家族が寝静まった深夜にこっそりとメイクをした。そしてメイクするだけでは飽き足らず、コンビニに行ったりした。
ストッキングを買うときもドキドキした。
この様にして女性物がだんだんと増えていくのであった。
親に怒られるんじゃ無いかという恐怖があったが、ときめきは止まらなかった。
中学3年
睾丸から男性ホルモンが分泌されると保健体育の教科書で知る。ここが男性化の原因箇所とわかった。そして睾丸を針金で縛り壊死させようとした。二、三日頑張ってみたが結局は痛過ぎて断念した。青いアザだけが残った。

高校生
男子の制服はブレザーとズボンだった。スカートで登校する事はなかったが、髪を伸ばしメイクやマニキュアをして通った。当時流行っていた聖子ちゃんヘアという髪型にしていたこともあった。校則も緩かったので全く怒られる事は無かった。片思いではあったが、好きな男の子もできていた。
大学生
自分というものが分からなくなっていった。男性なのか女性なのか。バンドに明け暮れる日々。今度は男らしく生きてみようと思った。自分の中の女性性を封印したのだった。
しかし、男らしく振る舞っていたつもりが、仲良くなった女性と親密になるにつれ、「なんか男の人といる感じがしないんだよね」と言われてしまった。
自分の中では完璧な男性として振る舞っていたつもりだった。
マンホールの蓋の下に固く閉ざし、誰にも分からないはずの私の内面を見破られてしまった感じがした。そのとき何か逃げられないものを背負っている感覚が襲ってきた。
当時、大学の心理学科の学生だった。当時は「性同一性障害」や「性別違和」という単語はまだない。いまでも覚えているが、性別に対する違和感を「性別倒錯」という言葉で片付けられていた。つまり「勘違いだ」。いまそんな表記をする書物は存在していない。
今度は男性らしく生きようとは思っていたが、相変わらず自分の髭が不快だった。エステで針脱毛20万円の広告をみた。お試しキャンペーンには行ってみたが学生の自分にとって20万は高いと思ってやめてしまった。本当は一歩前に出たいのになかなか踏み出せない。そのまま29歳まで何もできない年月が過ぎていく。
塾の講師や医学部受験など、いろいろチャレンジはしたが性別に関しては封印していくのであった。
つづく














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