性別はファッションである その1


性別に悩む人に贈る!メッセージ

男→女→その他(ボーダレス)に変遷していく人生が始まった!

女の子じゃないの?

幼稚園の頃「あの女の子と同じ髪型にしたいの」と母に言うと「あなたは男の子よ」と言われ愕然とする。女の子だと思っていたのだ。

頑張って男らしくする

小学3年生頃周りの少年達はプロ野球や高校野球に熱中。野球に全く興味のなかった私を母親が叱る。それでも頑張って少年野球を半年はやってみた。あまり合わずやめてしまった。近所の女の子達とおままごとしている方が楽しかった。

人生初メイク

中学1年の時に、友人にもらった化粧品で始めてメイク。何かわからないが、これだ!という衝撃が走った。高校生になると髪を伸ばし軽くファンデーションを塗り、マニュキアを塗り登校。中学校の頃と違い規律は緩く自由だったので問題なかった。

TV出演のニューハーフに大興奮!

高校生時にTVに綺麗なニューハーフが出演しているのを見て大興奮!これだ!私もこれになろう!と思いました。

当時は今ホルモン剤や性転換の情報があまりなかったんです。医学書を読むと男性ホルモンは睾丸から沢山分泌されるという記載を見て、睾丸を針金で縛り壊死させようとしてそのまま登校。痛すぎて途中で外しました。アホみたいけどそのくらいしかできなかった。

大学生の時は「女になりたい」は封印

バンドに命を燃やし!キャンパスでも女の子を連れて歩き、普通に男子らしく?していました。私の人生ではもっとも男らしい時期の始まりでした。色々女の子と付き合いましたがその中の一人に言われた事が衝撃的でした。

私の奥底を覗かれた!

あなたといても「男の人といる感じがしない」。それを言われた瞬間、自分の中で深く強く封印していたものを見つけられてしまった。かなりのショックでした。見てくれも態度も男らしくしていましたので彼女は私の奥深いところを見る神秘的な能力があったのだと思いました。

自分の中の否定できない存在を認めざるを得ない出来事でした。

それでも20代は男らしく?過ごした

酒の席で上司と殴り合いの喧嘩をしたり、男友達の中ではリーダー的な存在でした。

29歳転機が来る

女装がしたくなり色々雑誌などで情報収集しました。当時神田にエリザベス会館という会員制クラブがありました。高校生の時にも行きたかったが何万円もかかるので行けなかったんです。29歳の私でもちょっと高いなと思って他にそういうところがないか探していた。

Shemale白書というニューハーフ雑誌が当時ありました。(後に私の特集組んだりしていただくことになる)高円寺のキャッツという女装バーが新規オープンでメイク、飲み代込みの1万円という料金でキャンペーンをしていた。迷わず行きました。詳細はまたどこかで書こうと思います。

コスプレなのか女になりたいのか

女装してみて他のお客さんには好評だった。だが、常に自分というものにたいしての疑問が浮かぶのだった。自分はコスプレをしているだけなのか?中身が女なのか?女になりたいのか?

結論が出た?

昼は男として働き夜は女として羽ばたいている。もはやコスプレではないことは否定できなくなった。ホルモン注射をはじめ、脱毛クリニックにも通い始めた。しばらくして大学時代の友人達と待ち合わせしたが、近くにいるのに声をかけるまで気がついてくれなかった。かなり容姿が変わってきたのだ。(第三次成長?)

ホステスを始める

女装バーやニューハーフの店でホステスのバイトを始める。最初は昼間は男の恰好で働き夕方着替えてメイクし働いてた。次第に女の恰好で仕事をする時間が増えていき、フルタイム女性での生活に切り替わっていった。

30にして立つ

30歳にして女性として社会に揉まれることになりました。最初は自営業でしたので問題ありませんでした。

しかしリーマンショックの後、仕事が減って来たのでアルバイトに行くことにしました。戸籍は男性。見てくれは女性の私は面接いってもなかなか受かりません。

家庭裁判所に行くことに

偽名を使って履歴書を書くのは憚れるので、改名することになりました。霞が関の家庭裁判所に行き申し立て(申込)をしました。書類だけ出せば通るわけではなく裁判所のスタッフに、現在の名前でどの様に社会で不都合があるかを具体的に説明、説得しなければなりません。「性同一性障害」の診断書だけでは判断材料にならないと言われました。

新しいアイデア〜女性だと思ってもらう

名前の改名は無事許可がおりました。ただ性転換もしていない、戸籍上の性別を変えているわけではないのです。日本では性別適合手術をしなければ戸籍上の性別を変更は出来ません。手術をするには費用が高く簡単には出来ません。

そこで考えたのは履歴書をパソコンで自作し性別欄を削って女性として面接して働こうと考えました。性別の話は面接ではしませんが勝手に女だと思ってくれたようです。女性として面接しに行くようにしてから結構受かるようになりました。

1番女らしかった頃

今では、男か女が分からないような容姿になっています。性別をなるべく意識しないようにしているのでこれはこれで良いと思っています。

当時は女性ホルモンをガンガンやっていたのでかなり女っぽかったと思います。テレビの取材ではスタッフに戸籍上男だと言っても信じて貰えない事もありました。

社会生活が快適に?

大企業でもどこでも採用され働けるよう様になりました。ただ週3日まででした。4日以上働くと社会保険などの手続きがいるため性別は隠せなくなるからです。自営業もありましたからなんとかやっていけました。

身分証明書を見せろ

運転免許証には性別の記載がないんです。知っていましたが?そのおかげで普通に?堂々と提示できるようになりました。

それでもダメなこともある

正々堂々と「性同一性障害」だと説明しても受け入れてくれない企業はまだ沢山あります。有名な派遣会社を経営する×××では登録すらさせてもらえませんでした。これは企業というより面接官個人的な判断だと思います。派遣会社自体に登録できないとは・・・

そのあと別の派遣会社経由で例の×××の仕事をしましたが問題なくできました。あの面接官なんやねん!と今も思っています。企業理念では性同一性も受け入れると書いてあるのにね。

理解して欲しい!でもそうは行かなかった!

母親は性同一性障害の診断書をみせても、「そんなものは金を出せばいくらでも書いてくれる」と言って理解しようとはしませんでした。理解してもらおうとすればするほど喧嘩になってしまいます。

理解するのも否定するのも自由の境地へ

次第に考え方が変わって来ました。理解したい、理解したくない・・・これは全て個人の自由です。無理やり理解させようとするのは違うと思うようになりました。その方が精神的に楽ですから。年配になるほど理解は難しいと思います。心の柔軟性が無くなって来ますから。しょうがないですね。

男女の社会的違い

多くの本などでも語られているように、男性の方が正しい間違っているで判断しますが、女性の方は正しいとかではなく共感を求めるという傾向があると思います。女性の方が群れやすいが、敵対心や嫉妬がかなりある。女性だけの職場で女性として新人でいった時は中々仲間に入らさせて貰えないですからね。

また、男性の正しさだけの尺度だけでは女性側からすると人のことを理解してくれない、思いやりのない人に映るのかも知れません。

男女それぞれ良い面、悪い面があって2で割ると丁度良いのではないかと思っています。共通の価値観という考え方は危険であると思っています。完全に共通の価値観の人なんていません。それぞれの顔が違うように。

「違い」をがあるということを認めた方が関係は楽になると思います。「違う中でどう付き合って行くか」です。

続く・・・

社会は男女という2つの区分しか用意されていなかった。(今は大分変わりつつあるけど)当てはまらない私は長い間苦悩の連続でした。エンタメの世界に身を投じているうちにこれも私の個性として打ち出せるものとだと気づくようになりました。

性別はファッション

「男(女)である私」という意識ではなく「私の中の一部に男や女がある」といった感覚なんです。

次回「性別はファッション2」では「性別はファッション」であることの意味を掘り下げて解説!

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梶原 ひかるこのブログを書いている人
神奈川出身のトランスジェンダーアーティスト。生まれつき性同一性障害。悩み多き人生を送る。大好きなのは作曲。ほとんどの曲はインスピレーションに基づき作成されている。女子プロレス団体「世界プロレス協会」に3年間所属。師匠のミス・モンゴルさんはあの大仁田厚さんの弟子でもある。現在は音楽活動のほかキャットファイター「びりりあん みりんだ」としてもリングの上でバトルを繰り広げている。