プロフィール

ガガルネ

いろんな名前で活動しています!Hikaru です。キャットファイトでは「びりりあん みりんだ」名義で参戦中です。

様々な職業をしてきた

大学卒業後

塾講師(社会科)⇒3年で辞め「医学部」を目指し予備校へ。1年では受からず。お金が大変なため医学の道は諦めることに。その後、派遣社員、単発の日払いバイトなどをして凌ぐ。

28歳で整体師の学校へ入学。数軒の整体院で経験を積む。数年後過労のため整体を辞める。

その後、新宿でホステスを始める。水商売での接客での気遣い、トークを学んだ。水商売は奥深く仕事は大変(店によるか)。バカにする人もいるがそんなことはない。色んなことが学べる素晴らしい職業だ。

さらに整体業へも復帰、エスティシャンとしても修行を積む。6000~7000円/60分の整体料金にも関わらず繁盛。

しかし、リーマンショックで整体業は大打撃。さらに同じ頃、大阪からきた格安の60分2980円整体が東京にも進出。価格破壊が起こり一気に売上減少。雑居ビルに「格安整体2980円」の店が軒並みオープン。何年かそのブームが続く。

他にも仕事をしなければならなくなり、温浴施設のリラクゼーションサロンや契約ホテルへの出張リラクゼーションの会社などにも副業で勤務。ディズニーランドでキャストをしたり、ホテルの別途メイクの仕事もした。

自分でマネイジメントしている仕事は自由だ。その代わり売上の保証などは一切ない。シビアな世界だ。副業で雇われると人の管理下に置かれるわけだが、それはそれで学びもある。

整体業はだいぶ前からオワコン化が始まってたがエステもコロナ禍でかなり落ち込み大変だと思う。

音楽を始めたきっかけ

幼少の時から鼻歌で作曲していた記憶がある。実際に音楽をしたいなと思ったきっかけは小学6年生のときだった。デパートのオーディオコーナーでたまたまかかっていたレコードがあった。

友人と「なんかいいなこの曲」と言っていた。アーティストを調べてみると「Yellow Masic
Orchestra」とある。YMOである。その当時日本でのブームはまだ先のことでまだ「テクノポップ」という言葉さえなかった。当時はなにか掘り出し物でもみつけたような気分だった。

その時にシンセサイザーという楽器に興味津々。解説した音楽雑誌も読んでいた。近くの楽器店に行くと、当時小型のものでも30万円!はした。小学生にはきつい値段だ。いや普通の社会人でもきついか。

↓当時楽器屋で触りまくったシンセの復刻版と思われる。こんな安い値段ではなかったけどね。

シンセは高すぎるのでギターを選んだ

シンセは高すぎるので他に楽器はないかと調べていたら「エレキギター」が5万円ほどで売っていた。「ギターならなんとか頑張れば買えるかも」と思った。

丁度いいことに父が挫折して部屋のインテリアと化していたクラシックギターが家にあった。私は「エレキギターの教本」をみながら、なんか弾きにくいと思いながら曲を作っていた。

中学3年でバンドを結成。初スタジオ練習では前に使用していたバンドがパンクバンドでドラムセットをバラバラにして私達を睨みながら帰っていった。店員は腹を立てていたが、私は「音楽の世界は怖い」なと思った。ちなみにコピーしていたアーティストはオフコース。曲は「愛を止めないで」「Yes No]だった。

高校では弾き語りでJ-POP、ハードロックバンドも結成

16歳で弾き語りのオリジナル曲「つかみきれないやさしさを..」を作曲。後に文化祭のコンテストに入賞しレコード化されたんです。

そのレコードを作る過程で色んなことが起きて大変だった。その事件の数々を関連リンクで読めます。当時の大掛かりなレコーディングを思うと今のレコーディングは楽です。自分でできちゃうから。

18歳でレコードデビュー

ハードロックのコピーバンドでは

DeepPurple、Rainbow、IronMaiden、Led Zeppelin、Rush、Michael Schenker、Journey、Night Rangerなど。今でも聴いていますね。

邦楽ではRCサクセション、スターリン、アリスなどジャンルバラバラ。

大学生でフュージョンバンドへ

大学生の時に買ったFenderJapan「Dr.Segelモデル」故成毛滋さん設計。ショートスケールで日本人に馴染む弾き心地。現在では希少価値。買ったときの2倍位の値段になっている。おそらく生産はフジゲンではないかと思われる。現在調整中でBill LawrenceのPUに変えようと企んでいる。

大学生になってあまり勉強せずにバンドに打ち込む。軽音楽部の新歓コンパで出会った、ベーシスト兼トロンボーンのNにであう。後に加入するバンドのリーダーになる人物だ。

「ニムオロ」というバンドだった。バンド名の由来はトローンボーンアーティスト向井滋春さんの楽曲「ニムオロネイナ」(アイヌ語で根室のこと)YouTubeで視聴できる。

「ニムオロ」はDr、Perc、P、Gt、B、TB、TPの構成で時々ゲストでVoも呼んだりしていた。普段は完全にインストバンドであった。

ギタリストとして仕事がきた

その大学生の頃にある社長とであった。「ギターできるならうちに来い」といわれた。私は「わかりました」すぐ返事をした。

仕事内容はバンド派遣業。つまりホテルの披露宴での入場行進曲や宴会でのカラオケの生演奏だ。イベント会場での仕事もあった。そこでの珍事件もブログでは無いがYouTubeでトークしている。興味ある方は下記リンクから飛べます。

【実話】派遣バンドの仕事でブチぎられ、怪我?! 【仕事の裏流儀】 (YouTube開きます)

その後、大学を卒業すると友人の結婚式で披露するくらいで音楽からほぼ離れていった。その後は前述の「様々な職業をしてきた」のようにあった通りだ。

2013年頃から音楽活動を再開

ギターはあまり弾けなくなってしまっていた。ブランクが長すぎた。それでもパソコンで簡単に作曲できるので当時新宿にあった自分の事務所などで曲を作ってはスタジオで歌を録音するという作業を繰り返した。

歌を録音して聴く作業の繰り返しは、自分の歌唱力を鍛える良い経験になった。「ここはもっとこう歌おう」「ここは音をもっと伸ばそう」など工夫ができるようになっていた。

作曲してからの歌入れは本当に歌の上達の早道であったのだ。「ひとりフィードバック」大事。

今使っている機材も紹介しています。

Cakewakeで作曲

影響のあったアーティストとたまに訊かれるけど、常日頃から今までなかったものを作ろうとしているんです。だからなるべく影響がでないように(笑)しているです。聴くのと創るのは別腹(?)です。

iPadで作った曲がブレイク?!

2017年iPadアプリのKorgGadjetで作曲した曲があります。「ブラックカンパニー」です。各方面から評判を呼びました。

この曲はiPadでオケ段階までできていましたがメロディがまだでした。その時iPad作曲教室をやっていて生徒にこんなふうにオケができるんだよと説明に使っていました。その後、どんな曲になるのか楽しみでした。

というのは私の作曲方法の殆どはインスピレーション(降りてくる)なんです。だから作りながらどんな曲ができるんだろうとワクワクしながら作業していくんです。この辺はDREAMS COME TRUEの吉田美和さんもそのやり方であるとメンバー中村正人さんがTVで語っておられました。他人に理解してもらいにくい方法(?)かもしれません。

この「ブラックカンパニー」なんとAppleMusicルクセンブルクでチャート1位になりました。詳細は記事から確認できます。

スリを発見!尾行してみた
AppleMusicで1位獲得!
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ABOUT US
梶原 ひかるこのブログを書いている人
神奈川出身のトランスジェンダーアーティスト。生まれつき性同一性障害。悩み多き人生を送る。大好きなのは作曲。ほとんどの曲はインスピレーションに基づき作成されている。女子プロレス団体「世界プロレス協会」に3年間所属。師匠のミス・モンゴルさんはあの大仁田厚さんの弟子でもある。現在は音楽活動のほかキャットファイター「びりりあん みりんだ」としてもリングの上でバトルを繰り広げている。